「京都」山城八幡(やましろ やわた) 「たんでんあん 慶俊」

慶俊(けいしゅん) …しゅんさんのブログ

お声をかけて頂きました

f:id:ishida-kun:20190922201928j:plain

中学校を卒業するとすぐに私は

家の近くにある、おはぎの「丹波屋」に行き

店員のおばさんに

「すいませーん、アルバイトをさせて下さい」と交渉をして

働かせてもらった



バイクの免許をとるためである

それから、私は中古自動車屋さんで洗車のアルバイトをしたり

レストランのウエイターなど

私の高校1年生は多忙だった




常にあちこち放浪した

高校も二回留年して放りだされた


しかし、常に私は何かしら働いた


鳥取県の米子の温泉旅館で、仲居のおばちゃんにまぎれて働いていると思いきや


半年後には上京して

東京の下町、江東区でマイクをもち

「ラッキースタート!」と

パチンコ屋の兄さんを演じた

話しが長くなるので、あまり書かないが


パチンコ屋では

足をひきずるおじさんに

「あんちゃん一人もんか?ナニワっ子か?」

と、言われ


お水ふうの年齢不詳の姉さんには

「ほら、この玉でタバコをもらってきな」

と、施しをうけた


そのパチンコ屋では住み込みで

「サティアン」とよばれるタコ部屋に入った

相部屋で沖縄人の人と一緒になった

ユニットバスを開けると、ゴキブリが走りまわる

その部屋には窓がなかった

なぜなら

そのパチンコ屋は元飲み屋のビルで

不法入国者の東南アジアの女性を収容するための部屋だったからである

部屋に窓がないと息苦しい

思案した私は秋葉原へ行き、換気扇を購入して、勝手に部屋を改造した

換気扇をつけると少しはマシになった

店員は体に墨を入れてる人間が多く、夏になると、サポーターや包帯などで墨を隠している

飛ぶ人間
借金とりから追われる人間
ヤクザから追われる者、様々だ

家出して秋田から出てきた18歳の少年 に
私は
「今、なんぼもってんねん?」と、きくと

少年は財布をだすとジャリ銭を数えだし

「150円あります」と、言った

私は「よう、来たな、東京に」と言い

私の昼飯の弁当をあげると、少年は喜んで食べた

と、言っても、私も20歳をすぎたばかり



おっと、話しが長くなる




何が言いたいかと言うと

どこに行っても、下っ端である私は


それになれてしまい


それが「本当」だと思うし

楽だな