「京都」山城八幡(やましろ やわた) 「たんでんあん 慶俊」

慶俊(けいしゅん) …しゅんさんのブログ

「火の玉」と、よばれた男

f:id:ishida-kun:20190831154344j:plain

1945年敗戦




原爆を落とされ

焼け野原になった

広島



1人の復員姿の男が

絶望を感じて

佇んでいた




世の人から

「火の玉」とよばれた男である





火の玉は後





呉で
暴力団組長になる







火の玉は刑務所に入ってる頃

一冊の本を手にする





【📖】




ジャーナリストが書いた本

その本は【菊池寛賞】を受賞している






これを読み

火の玉は怒りで体が震えた





なぜなら

あることないこと書かれ





長年におよぶ
【広島けん銃抗争】は





自分のせいだと書かれているからだ






火の玉は絶望を感じたが

諦めなかった






普段は白刃、けん銃を手にしていたのだが


火の玉は

戦うために



筆をとった








獄中手記である


それは5年間で

原稿用紙700枚にもおよんだ











火の玉は

自分が執筆した【手記】を手にして出所した








学校の教員をされていた母親に

【手記】を渡して読んでもらう









【手記】が返ってきた



火の玉が【手記】をひらけると

所々に赤ペンで母親の字が入っている



[火の玉よ、

それはあなたの意志が弱いからです]














火の玉は【手記】を世間に発表した





世の中は騒然となった




マスコミがくらいついた








東京のある映画会社が


低迷する【日本映画】を救うには


【手記】の映画化しかない












交渉のため1人の映画人が

呉に送り込まれる







選ばれて呉に送り込まれた映画人は
途方にくれた



何のツテもないし

しかも相手は現役の暴力団組長である



「無理だ」







言い訳を考えながら

呉の街を歩いていると

夜になった





それでも歩いた


そして歩き疲れた



一軒の飲みやに入った


店のママに東京から来た理由を言った


するとママが


「弟が火の玉の組にいる

なんなら私が

つないであげようか?」










映画人はお願いした












映画人は火の玉に会うことが出来た





映画人は【手記】の映画化の交渉をした







火の玉「ダメだ」




当然であろう



火の玉は自分の名誉を傷つけた

ジャーナリストの文章と戦うために

筆をとったのだから







何度もダメだと言われ

映画人は諦めた











映画人は途方にくれた








火の玉は言った

せっかく東京から呉に来たので

駅まで送ってやる






車の中で






火の玉

「あんた、呉は初めてか?」








映画人

「いえ、海軍にいたので」









火の玉

「どこの部隊だ?」









映画人


「🌕️🌕️海兵団です」





たまたま「縁」によりて



火の玉と映画人は




同じ部隊だった




























火の玉

「だったらワシの後輩やろが

よし、今から飲みに行くぞ」












火の玉は酒の席で

何度も「映画化にするな」と言い


それが条件だと言って


映画人に【手記】を渡した









火の玉は騙された










【手記】は




映画作家
深作欣二の手により映画化され


大ヒット

シリーズとなる





後年


アメリカ映画のタランティーノ


【手記】の映画に多大な影響をうけ


映画作家になった








令和の今でもレンタル屋に行くと

よく【手記】の映画は借りられている







なぜ、私がこの様な事を書いたのは



「自分の思い」が

世間に放たれた時


まったく違う解釈で受け取られる事が

多々あるからである




そして「縁」の恐ろしさ


それと「祖父」のこと








我々お坊さんは


前世からの「因縁」を


ぽつぽつと

口にだしますね